山形県北西部、東田川郡の町。南東端に出羽三山のひとつ月山がそびえ、山腹には高山植物群落がみごとな弥陀ヶ原湿原が広がる。江戸初期の領主である北楯大学利長(きただてだいがくとしなが)は新田開発など殖産興業に熱心で、北楯大堰の造成をおこなって最上川南岸地域に広大な美田を形成する偉業をなした。また、古くから「清川だし」とよばれる局地風になやまされてきたが、近年は悪風を逆手にとった風車による風力発電が開発され、農業に活用されている。北楯大学利長の居城であった楯山城跡は現在、庄内平野を一望できる楯山公園となり、サクラの名所となっている。清川地区は松尾芭蕉も通過した関所のあった地で、幕末の志士清川八郎の出身地として記念館がたてられている。月山山頂に鎮座する月山神社は当町域に属する。