米沢城

name 米沢城
pref 山形県
ar_called 舞鶴城、松ヶ岬城
struct 輪郭式平城
tower_struct なし
builders 伝・長井時広
build_y 暦仁元年(1238年)頃
revamp 伊達晴宗、蒲生郷安、上杉景勝
rulers 長井氏、伊達氏、蒲生氏 上杉氏
reject_y 1871年

城は米沢市街地のほぼ中心に位置する。江戸時代は米沢藩上杉氏の藩庁であった。石垣は用いられず大藩の城としては誠に質素なものであった。また、天守も構えず2基の三階櫓がその代用となっていた。
現在、本丸跡は上杉神社となっており、また、二の丸跡には米沢市上杉記念館(旧・上杉伯爵邸)がある。

米沢城が最初に築かれたのは、鎌倉時代中期の暦仁元年(1238年)と伝えられる。鎌倉幕府の重臣・大江広元の次男・時広が出羽国置賜郡長井郷の地頭として赴任した際に築城されたと推定されている。時広は赴任地の地名から長井姓を名乗った。以後、長井氏の支配が150年近く続いた。
8代広房は室町時代初期(天授6年(1380年)、応永9年(1403年)、応永20年(1413年)の諸説あり)に、伊達宗遠に侵略されこの地を追われた。以後、安土桃山時代までここは伊達氏の支配下に入った。天文17年(1548年)伊達稙宗・晴宗父子の対立である天文の乱を経て、晴宗は本拠地を桑折西山城より米沢城に移した。独眼龍政宗もこの城で生まれている。
天正17年(1589年)政宗は蘆名義広を破り、蘆名氏を滅亡させると黒川城に本拠を移し、晴宗の弟にあたる宗澄ついで宗清を城代に据えた。しかし、翌年には本拠を米沢に戻した。天正19年(1591年)政宗は豊臣秀吉の命により岩出山城に移った。
その後、置賜郡は伊達氏代わって会津に封ぜられた蒲生氏郷の支配するところとなり、蒲生郷安(氏郷の子とも親族とも)が米沢城主となった。郷安はこの時、城の改修を行っている。慶長2年(1597年)氏郷の子、秀行は下野国宇都宮に移封となり、会津には越後国より120万石で上杉景勝が入封した。米沢城主には重臣・直江兼続が入った。
以後、廃藩置県による廃城まで上杉氏の居城となる。