天童藩

天童藩(てんどうはん)は、出羽国高畠藩から移転した織田氏が同国天童周辺(現在の山形県天童市)を支配した藩。藩庁は天童陣屋。
文政11年(1828年)に幕府から拠点を高畠から天童に移す許しを得た織田信美は、天保元年(1830年)に天童に移って天童藩を立藩した。しかしこの頃の織田氏は既に織田信長時代のような黄金期ではなく、わずか2万石の小藩だったがために財政難に悩まされていた。そのため、家臣の俸禄借り上げ、厳しい倹約令を施行し、安政2年(1855年)には紅花の専売制を行なおうとしたが、藩政改革は失敗してしまった。専売制の過酷さについては、「裸裸足で紅花さしても織田に取られて因果因果」という民謡まで作られた。