寒河江氏
寒河江氏(さがえし)は大江氏の支流である日本の氏族。
大江広元の子、大江親広は寒河江荘の地頭職を相続したが、目代と呼ばれる代行を送り、寒河江には関与していなかった。だが1221年の承久の乱で親広は上皇方についたため、寒河江の内楯に逃れて定住する事になった。
親広の子の大江広時、広時の子の大江政広は鎌倉幕府の要職にあったため、寒河江には目代を送るにとどまった。十三世紀末頃(1200年代終盤)に政広の子の大江元顕が寒河江に入部したと言われている。
寒河江の大江氏は南北朝時代 (日本) 南北朝時代になると南朝につき、1367年には斯波氏と決戦を行うが敗北。(漆川の戦い)壊滅的な打撃を受けるが滅亡は免れている。その後、時の当主大江時氏は北朝の鎌倉公方足利氏満に人質を出し降伏。この時、「寒河江」の苗字を名のるようになる。
