直江兼続

直江 兼続(なおえ かねつぐ、永禄3年(1560年) - 元和5年12月19日 (旧暦) 12月19日(1620年1月23日))は、戦国時代 (日本) 戦国時代・安土桃山時代・江戸時代の武将。上杉氏の家老。
父は長尾政景に仕えた樋口兼豊(木曽義仲の重臣樋口兼光の末裔という)、母は信州泉氏の娘と伝える。仙桃院(上杉謙信 謙信の実姉で、上杉景勝の母)の推薦で幼い頃から景勝に近侍していたといわれるが、当時の様子が窺える良質な史料はなく、父兼豊の身分についても見解が分かれている。「藩翰譜」によれば兼豊は薪炭吏だったという。
兼続は天正8年(1580年)8月ごろから景勝への取次ぎ役など側近としての活動が確認できる。同8月15日には景勝印判状の奏者をつとめている。天正9年(1581年)に景勝の側近である直江信綱と山崎秀仙が毛利秀広に殺害されるという事件が起きると、景勝の命で直江景綱の娘お船の方の婿として結婚し、跡とりのない直江家を継ぐ。以後、兼続と狩野秀治の2人の執政体制に入る。

死後、米沢市の徳昌寺に埋葬されるが、徳昌寺と米沢市の林泉寺の間に争いが起こり、敗れた徳昌寺が廃絶したため林泉寺に改葬された。
昭和13年(1938年)、米沢市鎮座の松岬神社に配祀。以後、終戦まで米沢市祭として直江祭を毎年4月30日に執行する。