前田慶次

『前田利益』より : 戦国時代の武将であり、慶次郎などの通称を持つ前田利久の養子。
大聖寺藩藩主前田利鬯の前名
前田 利益(まえだ とします、天文 (元号) 天文12年(1543年)? - 慶長17年(1612年)?)は、戦国時代 (日本) 戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、前田利家の義理の甥。諱は利太(としたか)あるいは利大(としひろ)とも言い、浪人時代は穀蔵院飄戸斎と名乗った。通称は慶次郎、慶二郎。子は前田正虎で従兄弟の前田利常に仕えた。なお彼を題材とした漫画「花の慶次 花の慶次 ―雲のかなたに―」の影響で前田慶次という名前で呼ばれることも多い。恵まれた体格と優れた槍術による武将としての活躍だけではなく、古今典籍に通じ、文人との交流も好むという文化人としての側面も持っていた。

上杉景勝とその重臣直江兼続の知遇を得て、景勝が越後から会津120万石に移封された1598年から関ヶ原の役が起こった1600年のまでの間に上杉家に仕官し、兼続の与力として1000石を受けた。関ヶ原の役に際しては、上杉景勝が東軍についた最上義光と戦った長谷堂城の戦いに出陣して功を立てた。

西軍敗退により上杉氏が30万石に減封され米沢に移されると、これに従って米沢藩に仕え、米沢近郊の堂森(現、米沢市万世町堂森)に隠棲した。隠棲後は兼続とともに「史記」に注釈を入れたり、和歌や連歌を詠むなど自適の生活を送ったと伝わる。