北前船

北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治 明治時代にかけて、大阪から瀬戸内海、関門海峡を経て、北陸地方 北陸などの日本海側の諸港を結び、後には北海道にまで延長された航路及びその船のことである。
例年70,000石以上の米を大阪で換金していた加賀藩が寛永16年(1639年)に、この航路で100石の米を大阪へ送る事に成功。一方江戸幕府 幕府も寛文12年(1672年)出羽国の米を河村瑞賢に大阪へ回漕させたのが、この航路の起こりとされる。江戸時代の和船では、通常は年に一航海で、二航海できる事は稀であった。しかし明治時代にスクーナ (w:en:Schooner) などの西洋式帆船が登場すると、年に三航海から四航海が可能となった。しかし明治維新による封建制の崩壊は、相場の地域的な格差を無くし、一攫千金的な甘味が無くなり、全国に鉄道が敷設され、北前船は役目をほぼ終えることになった。